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絶体絶命のクリーミー系マガジンミヒトツカミオンウェッブ

ひとりぼっちの競馬場ガイド

こんにちは。ごきげんいかがですか。わたしときたら、天気やらバイオリズムやらに責任を押し付けて、しょっちゅういらいらしたり落ち込んだりしている毎日です。
もはや誰とも口をききたくない。でも不機嫌が顔にくっついてブスが進行する前にどうにかしたい。心の底からマジ笑顔になりたい。早い話、幸せになりたい。そんなんで3月あたりからちょいちょい一人で競馬場に行っています。今回は競馬超素人にして、にわかファンのわたしによるひとりぼっちのための競馬ガイドです。

さて、競馬場に行くときにまずわたしが迷うのが服装です。わたしにとって競馬の日は「ハレの日」。できればおしゃれがしたい。でもおしゃれで気分の上がる服装がワンピースとヒール、なんて近ごろコンサバぶってるわたしにとっては競馬場での服装って超悩ましい。なぜなら競馬場ってたくさん歩くのだ。パドックをみて馬券を買ってレースをみて、またパドックをみて…の繰り返し。ヒールで足の痛みに気を取られていたら馬どころの騒ぎじゃない。なので、まず歩きやすい靴から服装を組み立てるのがたぶん正解。あとはカバン。これはまず、きちんと口のしまるものがよろしい。GIなんかで人が多くなるとスリがいてもおかしくなく、備えあれば憂いなし、競馬場って戦場だからね、じぶんの身はじぶんで守らねばならないの。ぱかっとあいたカバンから財布が見えてる人を見ると他人事ながらちょっと心配になってしまう。あとは、新聞やレーシングプログラム(これがけっこうかさばる)、そして当たったときの札束が入るように、ちょっと余裕のあるカバンをもつのがゲン担ぎ的にもよいでしょう。(的なことを武豊が言ってた。)
あとこれは嘘くさいと思われるかもしれないんですが、かわいい格好をしていったほうがなんとなく馬券が当たる気がする。金のかかった服装とかスカートを履くとか派手な格好とかそういうことではなく、たぶんくたくたの陰気さには運も寄り付かない。かわいい格好、つまりおのれの気合みたいなものは競馬の神様にも伝わる(はず)。
カバンの中にはお財布、赤ペン、スポーツ新聞、ティッシュとハンカチに、ディオールのリップマキシマイザー。赤ペンはマークカードに記入したり新聞に書き込みをしたりするために持参。個人的にはサインペンみたいなちょっと太い赤ペンだと気分が盛り上がりますね。わたしは競馬場の入口で100円で購入したものを愛用中。もし忘れてもそのへんの緑っぽいジャンパーを着てるおばちゃんに声をかければ使い捨ての鉛筆をもらえるので心配はいらない。あとは新聞。お財布に余裕があれば競馬新聞がいいけど、スポーツ新聞でも十分。貧乏なわたしの最近のお気に入りは東スポです。日曜競馬に行くならば、土曜の夕方に新聞を買って予想をしておくと当日の競馬場で慌てなくてすむ。わたしは『勝ち馬がわかる 競馬の教科書』(鈴木和幸著 池田書店刊)という本を片手に予想。競馬に行く前の晩、きちんと新聞をたたんでかばんに詰めていると大人の遠足感がハンパない。ひとりぼっちだけど。
さて競馬場についたらまずスタンドに出てみよう。すこんとひらけた、この場所にくるだけで機嫌がよくなる安上がりなわたし。(入場料は200円)
パドックに行けばぴかぴかのサラブレッドたちを間近でみることができる。初めて競馬に行ったなら、新聞とにらめっこするよりもパドックで買いたい馬を選ぶほうがきっと楽しい。ぐるぐる回る中から一番好きな馬を選べばいいのだ。
買いたい馬が決まったらマークカードに記入する。カードは最初に多めにもらってポケットに突っ込んでおくとよい。カード置き場には人がたまっているし、レースごとにもらいに行かなくてすむからね。マークができたら券売機へ。ここでのポイントはお金を入れてからカードを入れる、その一点のみ。わたしは自分の買い目を計算して、お金を握りしめて券売機に並ぶ。もたもたして気の荒いおっさんに後ろから怒鳴られたら悲しいからね、ふだんはとろいわたしも、馬券を買うときはてきぱきと強い気持ちで行動する。
競馬に熱中するとおなかがすく。競馬場でのわたしの定番は吉野家の牛丼(なぜか大盛のみ、なんで?)、じぶんで塩とマスタードをつける鳥千のチキン、ど・みその味噌ラーメンなど。おやつには耕一路のモカソフトは絶対に食べたい。競馬場によって入っているお店が違うので、それもまた楽しみ。
馬券が当たっても当たらなくてもターフィーショップをのぞいちゃう。つい買ってしまったのは、オルフェーヴルのふせん(商品名はFUN FLAGSとかいうやつ)、ゴールドシップの貼ってはがせる勝馬ドレスステッカーなど。競馬にはまる前は、超ダサいこんなの部屋にあったらおしまいだよと思っていたもっさりアイテムの極み、アイドルホースぬいぐるみ(ゴールドシップ・小)も買ってしまった。ファンファーレガチャガチャもちょっとずつ集め中。

わたしは馬も予想もレースをみるのも好きだけど、競馬場そのものが好きなのだ。さつばつとした雰囲気とうなされるような熱気が一緒くたになったあの空気がもう恋しい。ふだんは朝の占いの順位も忘れるくらいのわたしだけど、競馬場では確実に運とかツキとか流れ、つまりじぶんの力じゃどうにもならないことがあることを知る。冒頭のいらいらや落ち込みも、そのせいだ。ふてくされて立ち止まってても後悔しても何も変わらないけど、競馬場ではささやかな希望を次のレースの馬券に賭けることができる。終わっちゃったことをうじうじ悩むより、次のレースの買い目を決めよう。ひょっとしたら、に賭けてみよう。
負け続けても美術館の入館料とか映画を一本観たと思えばいい(ちなみにわたしの軍資金は毎回二千円くらい)。いや、こんなに楽しませてくれて安いくらいだよ!お馬、ありがとう!な気持ち。

世知辛い世の中、ここに行けば元気になれるっていう一人の場所があることは悪くない。競馬場は人がざわざわたくさんいて、自分はひとりぼっちで、でも全然さみしくなんかなくって、ギャンブルに興じる背徳感らしきものは、うっかりハイテンションに結びつく。明るいうちからビールを飲んだって、だれにも文句は言われない。もうやりたい放題。大人になってよかったな。かわいい馬がいて、ドラマがあって、ビールも飲めて、ごはんも食べられて、競馬場だいすき!

お友だちとワイワイ行く競馬も楽しいけど、たまにはひとり競馬場もよいものですよ。

みなさんもすてきな競馬の季節を!

アンナ

純粋スカートの夢をみる

2月の始めにFUKAIPRODUCE羽衣という劇団の『女装、男装、冬支度』を観た。このお芝居、出てくる役者がみんな終始踊り続け歌い続けておりミュージカルのようなんだけれど、あんまりにも全力すぎて歌も踊りもセリフ回しも必死で切実もはや絶叫、例えばプロ集団って感じの劇団四季とは方向性が全く違う、まさに劇団が標榜してる「妙ーじかる」なのです。

タイトルにもあるように女装・男装というのがキーになっていて、前半は数組の男女のカップルによっていろんな愛の形が繰り広げられ(小学生から老人まで。純粋なのや風俗、不倫や殺しあうものまで。)、後半はそれぞれのカップルの男と女が衣装を取り替えることによって、男と女の役が入れ替わったり、入れ替わらなかったりして、物語が繰り返されたり、進んだりする。私は改めて衣服の力を思い知ったのだった。そこでふと思ったのは、女の衣装はやはりスカートだということなんだよね。スカートって「女の衣服」だってことで、現代日本ではほとんど全部の了解が得られると思うんだけど、そう考えれば考えるほどスカートとは奇妙なものだ。それを身につけてるってことで女だということを証明してしまう服って、スカートとブラジャーぐらいじゃないだろうか。しかもスカートは外から見える。つまり、他人に向けて「女です」と発信する服なわけだ。

先週、山戸結希さん監督・東京女子流というアイドル(本当はガールズ・ダンス&ボーカルグループだけど、便宜上アイドル)が主演した『5つ数えれば君の夢』という映画を観てきたんだけど、舞台が女子校ということもあって出てくる女の子たちはみんなワンピースのような制服を着ていた。スキップしたり走ったりするたびにスカート部分がひらりふわりして、これがとっても可愛い。ウエストがくびれて後ろにリボンがついて、女の子らしさを突きつめており、とにもかくにも可愛らしい。私は共学・私服の高校出身、ほとんどジーパンで登校していたので、制服のミニスカートへは未だに憧れがある。その一方、制服の女子校では全校みんながスカートで過ごしているのかと思うと、「ま、まじか……」と自分に置き換えられない驚きがあったりする。足の毛を剃るのが面倒な日も、寒い冬の日も、スカートをはく女子たちで教室は満ちている女子校……これはすごいことだと思う。スカートをはくのって手間がかかるし、もっと楽ちんな格好はあるはずだけど、女の制服(スーツとか礼服とかも含めて)はやっぱりスカートが基本。

と、まあ、フェミっぽいことを言っているけど、私はスカートが好きです。女だってことを証明するのは、別に悪いことでもない。でもそこには、意外と女子同士の相互監視みたいなことがあったりする。共学私服高校では、余計にそれがあったように思う。ガーリーな服で登校すれば周りの女子から「男子に媚びてるよね」っていう空気を感じるような。「ぶりっ子」っていう言葉も、女子だとアピールすることを揶揄するものだ。女だと強調することは、どうしても「男に媚びる」こととイコールになってしまいがち。そしてどの世代の人でも女の方が、女の女子アピールに敏感だと思う。

女子アピールって、うまく使うと本当に生きやすくなる。私はかなり下手な方だけど、それでもその恩恵にあずかることも間々あるわけだ。男の人に女子扱いされるのは時に楽ちんだし、助けてもらわなきゃこれができないという場面も日常生活には多々ある。それに、女が女子アピールに厳しいと言ったけど、ある程度の女子アピールは対女でも必要なのだ。ある程度の、というのが重要なのだけど。例えば40代以上(ハイティーンの子を持つお母さん世代以上)の女性には「女の子らしさ」は好印象だ。というか、好印象だという体をとってもらえる。もしかしたら女はその位の年齢で、「男に媚びる」でもなく「ぶりっ子」でもない「女の子らしさ」の尺度を得られるのかもしれない(……まだ私にはわからぬ境地なので、あくまでも推測)。でも、そもそも女子アピールにつきまとう、この罪悪感は何なんだろうね。面倒なことを回避している感ゆえの良心の呵責だろうか……。例えば痴漢にあったとき「お前に隙があった」と言われるような外からの圧力……? 女子アピール、セックスのもろもろ、ジェンダーのもろもろを成すとき語るときに罪悪感を感じる女というのは私だけじゃないと思うんだけど、どうでしょうか。

とはいえ、私に制服スカートへの憧れがあるように、それでも女の子っぽいもの、可愛いものが好きな女はマジョリティーな昨今。ふと、何の意味も持たず、ただそれがそれであるだけの、純粋スカートは存在するのだろうかと考えてしまう。いや、全てのスカートは純粋に存在していて、手にとり、はいて、見る私たちの方に問題があるんだろうか。でもそしたら純粋スカートをはくことってどこまで行っても無理だよね。何とまあ難儀であることよ!

 

アメ

まちシリーズ① 湯島

湯島に住みはじめるときはいっつも一人ぼっちだ。5年前、はじめて湯島に越してきたときもそうだった。

新居は父とわたしが住むために借りた湯島天神のふもとの2LDK
就職が決まらないわりに、地元に戻るという選択肢がすっぽり抜け落ちていたわたしは、しばらく東京での仕事が増えるという父親の身の回りの世話をしながら就職活動をするというたてまえで、このマンションに住むラッキーを得たのだった。不動産屋で物件をみつけ、アリさんマークの引越者も手配して、そこまでは順調だった。

はやばやと卒論を書き上げ、引越日に合わせて荷物をまとめていたある日、母から電話があった。
「ねえ、引越すのって26日?日取り変えてほしいんだけど…」
引越すのは6日後。いやいや無理だろう。ひとしきり抗議してみたものの、
「あんただけでも明日引越してくれない?そしたら、みんな、大丈夫だから。」
当時の母は占いフリークなんてもんじゃなく、よく当たると評判の占い師、「カヤコさん」に心酔しまくっていた。話を聞くとやっぱりソレで、わたしの決めた引越日は最低の日取りで、このままじゃ大変なことになる、と言われたらしい。仏滅じゃなく、きちんと大安の日を選んだっていうのに。
次第に涙まじりになる母親の声と、家賃を出せない後ろめたさで、結局家具もなにもない部屋でわたしだけ先に住みはじめることが決まってしまった。

そんなこんなでクリスマス直前、でかいリュックとトートバッグふたつを担いで、わたしはひとりで湯島にやってきた。
重い荷物をどすんと置くと、母からメールが来ていた。「大事なこと」という題名のメールだ。何事かとおもって本文を読んでみると、部屋にお清めのために塩を撒きなさい、という指令だった。うんざりしつつも、コンビニで塩を買ってしまう自分の心の弱さが情けない。てのひらで塩を掴んで、リビングや和室や洗面所におもいっきり投げつけた。

3つあるうちの1番小さなベランダで一服する。これからよろしくおねがいいたします、と心のなかでつぶやく。見える景色は古いビルばかりで、小さく切り取られた空は憎らしいほどに雲ひとつない水色だった。

荷物を部屋のしかるべき場所に置くと、当面生活をしていくのにも足りないものが見えてくる。そもそも灯かりになるようなものが無いことに気づいたのは夕方だった。蛍光灯を設置するにも足台になるものがなかったので、とりあえずをしのげる照明を北千住まで探しにいった。
マルイの無印でスタンドを選び、レストランフロアで晩ごはんを食べて千代田線に乗り、湯島駅で降りる。ドンキホーテに寄って家に帰る途中、キャバ嬢や黒服が呼び込みをする道を歩きながら、なんだかひとりで旅行に来てるみたいだとおもった。


近くにスーパーがない、物価が高い、治安も悪そう。こんなとこ人の住む場所じゃない。最初こそ文句ばっかり言ってたわりに、適応能力はあるほうなのか、3日もすれば湯島になじんだ。
朝は湯島天神の太鼓の音で目を覚まし、従業員はすべて韓国人か中国人のローソンで朝ごはんを調達する。不忍池から上野公園まで散歩をし、静かな朝のラブホ街を抜けて、ドンキホーテで無駄づかいをする。お昼ごはんは近所のナワブのチキンカレーかデリーのカレー、タイ料理トンカーオのガパオ、または元祖プデチゲのプルコギ定食かキムチチゲ、たまに空いていれば阿吽の坦々麺。おやつはつる瀬でわらびもちを買う。余裕があればやなか珈琲でコーヒー豆を挽いてもらい、夕方になったら吉池(スーパー)で買い出しをし、酒屋のマインマートでビールか発泡酒を買う。


やがて父がやってきて、家具もすっかり揃ったころ、大学を卒業した。あいかわらず就職はできず、大学時代からはじめた吉祥寺のカレー屋のバイトも交通費が出ないとか、忙しさのわりに時給が低すぎるというふざけた(いま思えばまっとうだとも思う)理由でやめてしまった。
ずるずるはじまったニート生活は想像以上に辛くて、ごはんを食べているのに5キロ痩せた。引越日も変えたし塩も撒いたのに、全然大丈夫じゃなかった。上達したのは退屈しのぎの家事くらいで、お金はないのに時間だけはあるものだから、ひとしきり掃除と洗濯を終えたら自転車をこいで時間を潰していた。上野、浅草、池袋、銀座、丸の内、日本橋、渋谷、原宿、新宿。思いつく限りの「トーキョー」に、バイト代とお年玉をはたいて買ったクロスバイクで向かった。よそよそしかったはずの「東京都文京区湯島」というまちは、体力と根性さえあれば、どこにだって行ける、わたしのまちになっていった。

夜の街にガラスが反射して、みずから光を放っているような松坂屋、春日通りの坂の上から眺めるラブホテルの看板、天神下から続くけばけばしいネオン、不忍池の蓮と弁天堂、突き出した室外機が今にも落っこちそうな湯島ハイタウン、客引きだらけの仲町通り、真夜中のドンキホーテ、そこに暮らす、なんにももっていないわたし。

こんなでたらめ、ずっと続くわけがない。そんなことはわかっていた。夜はにぎやかなこのまちだって、朝になれば光も人も消えてしまう。
きらきらしたものはあっという間になくなっていく。夜が明けたら、しらじらしい明日が昨日の退屈だけを引き継いで、真新しいような顔をしてやってくるばっかりだ。「ずっと」も、「絶対」もないことなんて、とうにわかっていた。だから、インスタントに欲望が叶えられるこのまちの、うさんくささや、でたらめさもひっくるめてここにいたかった。できるだけ、できれば死ぬまで、ぎりぎりまでこのまちの、いつかなくなっちゃうはずの「きらきら」の中にいたかった。
ここに居さえすれば、ずっとずっと、絶対幸せだとばかみたいに思い込んでいた。




アンナ




今までに経験したことないくらい、最高のハッピーの中

K太くんが死んでしまって明日葬式があるという連絡がきた日、私は一睡もできなかった。もう、3年も前のことだ。K太くんとは別に仲が良かったわけではない。学生時代に喫茶店でバイトをしていたときの後輩だった。その喫茶店ではメニューの中から好きなものをマスターがまかないとして作ってくれるのだけど、バイトが二人以上同時に上がるときは同じメニューにしなきゃいけないというルールがあった。シフトがほとんど同じだった私とK太くんは、よくじゃんけんでメニューを決めた。私はいつもグーを出して、彼はいつもチョキを出した。大きな爪の長い指だった。話すこともないから、あとは同じフライパンから取り分けられたパスタを別々の席でそれぞれ、黙々と食べた。いいやつだなあ、と思っていた。

全然眠れないので、通夜の準備をした。「香典」をググって、金額や香典袋の書き方を調べた。親しさによって包む金額が違うことも、筆ペンのうす墨の用途も聞き知っていたことだけれど、自分の名前で香典を包むことが今までなかったので、全て確信のないことだった。喪服はちゃんとしたのを持っていなかったので母のを借りることにした。用意を済ませたあとは、何もすることがないので風呂に浸かっていた。ぬるくなったら追い炊きをして、それを何度も繰り返して時間をつぶした。

他のバイト仲間と駅前のミスタードーナツで待ち合わせをした。私たちはお互い包んだ香典の額と、服装と、これから行うお焼香の動作を確認しあった。アミちゃんは包みすぎということになり、しょうがないからストロベリーリングを買ってお金をくずしていた。買ったストロベリーリングは手をつけられないまま、ゴミ箱に捨てられた。

あれだけ調べて確認したのに、礼をする際に後ろに並ぶ男の子のことをお尻で押してしまったりして、私はお焼香にもたついた。親族席にはK太くんの両親とお兄さんが並んでいた。K太くんのお母さんはぐったりしていて、黒くて固い着物にすっかり着られてしまっているようだった。涙が涸れた人を初めて見た。K太くんが入っている棺はぴったり閉ざされていて、遺影の中のK太くんは白いネクタイをしていた。成人式の写真なんだろうと思った。全てがちぐはぐだった。

 

それから一週間ほどして、私は映画サークルの同期とOGの先輩の家に行った。先輩はその年の始めに男の子を産んでいて、その時学生の私の周りでは結婚だってよくわからないものだったので、すっかりお母さんになっていた先輩の姿にとまどった。撮影の合間に、先輩がハンディカムで出産のときのビデオを見せてくれた。出産シーンをビデオに撮ったり年賀状に自分の子どもの写真を載せたりする人がいることは知っていたけれど、正直そんなことをして何の意味があるんだろうと思っていた。

先輩の夫が持つカメラは、先輩が痛みでうなり何かを叫ぶ度に大きく揺れてベッドの端っこや病院の壁が映った。出るぞ、と言う瞬間にはカメラが医者の手元に寄り、画面が細かく上下する。どうやら震えているのらしい。あ、まんこが映る!と言って、先輩がぱっとハンディカムの液晶を隠した。先輩の指の間から、産声が漏れだす。

「馬鹿なことを聞くようですけど、やっぱり痛いんですよね……?」

「うーん、痛いんだけど、産んでるときってエンドルフィンが出てるから、超ハッピーな気持ちなんだよね」

「え?」

「今までに経験したことないくらい、最高のハッピーの中にいたんだよね」

私は、もうもう、何だかたまらなくなってしまって、煙草をつかんで慌てて外に飛び出した。自分の母のことを思った。そして、喪服に着られてしまったK太くんのお母さんのことを思った。

先輩の眠っていた息子が起きだしたようで、泣き声が聞こえる。

************

1月の後半ともなれば世界はすっかり2014年。年末の、一年分のあれこれが大晦日に向かってぎゅうっと収束していくあのスピードと高揚を思い出して、現在の始まってしまった日常の空気が不思議に思えます。いかがお過ごしでしょうか。

私はといえば年末、いやその前から同じようなこと(職とか愛とか金とか)をずっと考えていて、新年といえど手帳みたいに今までのことをさっぱり脱ぎ捨てて頭の中をすっかり新しいものに取り替えられるわけじゃないんだよな、と当たり前のことを感じたりしています。(結局手帳はほぼ日じゃなくて、スヌーピーのにしました)

去年の終わりに観た『かぐや姫の物語』にとにもかくにも深く感動してしまったのでそのことについて書こうと思ったんだけど、それは突き詰めると私の個人的な体験に深くリンクしたからだなあと思ったので、このような日記になりました。必ずしも全ての出産がそうなわけじゃないけど、身体から有無を言わさず分泌されるエンドルフィンで、どうしても最高のハッピーの中に産まれてしまうことと、翁がかぐや姫を「ひーめ!ひーめ!」って呼ぶあのシーンに満ちていたようなものや、何でもない野山の草木が芽吹くシーンの美しさが、私には同じものに思えるのです。自分のために書いた文章だなあ。

ちなみにこの日記は1月11日から書きはじめました。結局その日のうちにアップどころか、大変遅れちゃったけど、改めて、お誕生日おめでとう!

ではでは。

 

アメ

近況報告と馬のはなし

まずは最初の更新どうもありがとう。なんだかアメさんにカラオケでしょっぱなの一曲を歌ってもらって、わたしもようやく曲を入れられた、みたいな気分です。さて…まずは改めての近況報告を。

湯島、中野、錦糸町、馬喰横山、ここ1、2年はあちこちを転々としながら暮らしていたわけなんだけど、かくかくしかじかで半年ほど前から湯島に戻って一人暮らしをはじめました。自炊はまったくせず、コンビニの食べものでおなかを騙し、小腹と退屈はビールで満たす、みたいなヘンテコな生活でこの半年は過ごしてきました。(ひどく不健康!)

コンビニはたくさんあるし、ドンキに行けば大抵のものは揃うし、湯島というところはいいかげんに暮らすにはなかなか便利なまちのようです。 

ただ、いよいよこんな、栄養ゼロ!添加物たっぷり!の生活に飽きてきてしまって、最近自炊をはじめました。あと面倒であとまわしにしていた粗大ゴミの処分も。そういう毎日のくらしまわりのことをきちんとすることが、今のわたしにはじぶんを立て直す訓練のようなものなっています、と書くとけっこうビョーキっぽいね。(おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。)

最近のたのしみといえば競馬!そう、競馬!!

錦糸町時代にマルイの近くにウインズ(場外馬券売場)があって、日曜日には灰色のおじさんに溢れているウインズの横を歩くのが大好きでした。それもあって、ぽつぽつテレビでは競馬を観ていたんだけど、たまたま行った5月の日本ダービーで名前が気に入った馬を買って当たったもんだから、調子に乗りやすいわたしはすっかりはまってしまいました。

思えばはじめのうちは、ルールもよくわからなくて、競馬をおみくじや運だめしのようなものとして捉えていた気がします。パドックでいいな、と思った馬がどれだけ走るのか、つまり自分の見る目はどれほどのものなのか。そういうのがおもしろかった。ただ、わたしの見る目なんてたかが知れていて、当たることもたまにあるけどだいたい外れる。ほぼハズレ。外れるとやっぱり悔しいから、競馬新聞なんかを読みはじめるわけです。いやいやしかし、競馬にまつわる情報というのはそれはそれは膨大で、じぶんの脳みそにやや不安のあるわたしなんかはあっという間にくらくらしてしまう。それにじぶんよりずっと競馬に詳しい人たちが勝つと思われる馬に二重まるやら、まるやら、さんかくやら、星やらを自信ありげにつけているものだから、人に流されやすいところもあるわたしは戸惑いまくりです。

でも他人の印通りに馬券を買うことほどつまらないことはなくって、わからないなりにああでもない、こうでもないって新聞をぐちゃぐちゃ読んでるときがすごくたのしい。じぶんが何を切り捨てて何を信じるのか。たとえ100円でも知識、カン、想像力、思想、じぶんを総動員して馬券を買う。

レースがはじまれば、新聞を叩く、叫ぶ、祈る。じぶんの買った馬が勝ちますように!わたしの選択が正しいものでありますように!ひいてはわたしの人生まちがっていませんように!って笑

いるんだかいないんだか、いやたぶんいないだろう神様への、信仰やらなんやらをすっとばした、ただただ(文字通り現金な)お祈り。

競馬なんてしょせんギャンブル。だけど人生だってギャンブルみたいなものという気がするのです。毎日が選択の連続で、なにが正解かわからないなかでなにかを選ぶっていうのは一種の賭けみたいなものだし、みんなどこかできっと勝負に出なくちゃいけない場面がある。降りることもあがることもできない勝負ならば、せめて負けたくないとおもうわたしはやっぱり負けず嫌いなのかな? 

さあ、明日は有馬記念!1年の競馬のしめくくりです。わたしも中山競馬場に行ってきます。勝つかな負けるかな。ちなみにわたしの馬券の買い方のポリシーはオッズ無視、儲け度外視、はずれてなんぼ、当たれば上等!だよ笑

ああ、最初の更新が結局競馬のはなしになっちゃった。ごめんなさいね。

ではまた!

 

アンナ