まちシリーズ① 湯島
湯島に住みはじめるときはいっつも一人ぼっちだ。5年前、はじめて湯島に越してきたときもそうだった。
新居は父とわたしが住むために借りた湯島天神のふもとの2LDK。
就職が決まらないわりに、地元に戻るという選択肢がすっぽり抜け落ちていたわたしは、しばらく東京での仕事が増えるという父親の身の回りの世話をしながら就職活動をするというたてまえで、このマンションに住むラッキーを得たのだった。不動産屋で物件をみつけ、アリさんマークの引越者も手配して、そこまでは順調だった。
はやばやと卒論を書き上げ、引越日に合わせて荷物をまとめていたある日、母から電話があった。
「ねえ、引越すのって26日?日取り変えてほしいんだけど…」
引越すのは6日後。いやいや無理だろう。ひとしきり抗議してみたものの、
「あんただけでも明日引越してくれない?そしたら、みんな、大丈夫だから。」
当時の母は占いフリークなんてもんじゃなく、よく当たると評判の占い師、「カヤコさん」に心酔しまくっていた。話を聞くとやっぱりソレで、わたしの決めた引越日は最低の日取りで、このままじゃ大変なことになる、と言われたらしい。仏滅じゃなく、きちんと大安の日を選んだっていうのに。
次第に涙まじりになる母親の声と、家賃を出せない後ろめたさで、結局家具もなにもない部屋でわたしだけ先に住みはじめることが決まってしまった。
そんなこんなでクリスマス直前、でかいリュックとトートバッグふたつを担いで、わたしはひとりで湯島にやってきた。
重い荷物をどすんと置くと、母からメールが来ていた。「大事なこと」という題名のメールだ。何事かとおもって本文を読んでみると、部屋にお清めのために塩を撒きなさい、という指令だった。うんざりしつつも、コンビニで塩を買ってしまう自分の心の弱さが情けない。てのひらで塩を掴んで、リビングや和室や洗面所におもいっきり投げつけた。
3つあるうちの1番小さなベランダで一服する。これからよろしくおねがいいたします、と心のなかでつぶやく。見える景色は古いビルばかりで、小さく切り取られた空は憎らしいほどに雲ひとつない水色だった。
荷物を部屋のしかるべき場所に置くと、当面生活をしていくのにも足りないものが見えてくる。そもそも灯かりになるようなものが無いことに気づいたのは夕方だった。蛍光灯を設置するにも足台になるものがなかったので、とりあえずをしのげる照明を北千住まで探しにいった。
マルイの無印でスタンドを選び、レストランフロアで晩ごはんを食べて千代田線に乗り、湯島駅で降りる。ドンキホーテに寄って家に帰る途中、キャバ嬢や黒服が呼び込みをする道を歩きながら、なんだかひとりで旅行に来てるみたいだとおもった。
近くにスーパーがない、物価が高い、治安も悪そう。こんなとこ人の住む場所じゃない。最初こそ文句ばっかり言ってたわりに、適応能力はあるほうなのか、3日もすれば湯島になじんだ。
朝は湯島天神の太鼓の音で目を覚まし、従業員はすべて韓国人か中国人のローソンで朝ごはんを調達する。不忍池から上野公園まで散歩をし、静かな朝のラブホ街を抜けて、ドンキホーテで無駄づかいをする。お昼ごはんは近所のナワブのチキンカレーかデリーのカレー、タイ料理トンカーオのガパオ、または元祖プデチゲのプルコギ定食かキムチチゲ、たまに空いていれば阿吽の坦々麺。おやつはつる瀬でわらびもちを買う。余裕があればやなか珈琲でコーヒー豆を挽いてもらい、夕方になったら吉池(スーパー)で買い出しをし、酒屋のマインマートでビールか発泡酒を買う。
やがて父がやってきて、家具もすっかり揃ったころ、大学を卒業した。あいかわらず就職はできず、大学時代からはじめた吉祥寺のカレー屋のバイトも交通費が出ないとか、忙しさのわりに時給が低すぎるというふざけた(いま思えばまっとうだとも思う)理由でやめてしまった。
ずるずるはじまったニート生活は想像以上に辛くて、ごはんを食べているのに5キロ痩せた。引越日も変えたし塩も撒いたのに、全然大丈夫じゃなかった。上達したのは退屈しのぎの家事くらいで、お金はないのに時間だけはあるものだから、ひとしきり掃除と洗濯を終えたら自転車をこいで時間を潰していた。上野、浅草、池袋、銀座、丸の内、日本橋、渋谷、原宿、新宿。思いつく限りの「トーキョー」に、バイト代とお年玉をはたいて買ったクロスバイクで向かった。よそよそしかったはずの「東京都文京区湯島」というまちは、体力と根性さえあれば、どこにだって行ける、わたしのまちになっていった。
夜の街にガラスが反射して、みずから光を放っているような松坂屋、春日通りの坂の上から眺めるラブホテルの看板、天神下から続くけばけばしいネオン、不忍池の蓮と弁天堂、突き出した室外機が今にも落っこちそうな湯島ハイタウン、客引きだらけの仲町通り、真夜中のドンキホーテ、そこに暮らす、なんにももっていないわたし。
こんなでたらめ、ずっと続くわけがない。そんなことはわかっていた。夜はにぎやかなこのまちだって、朝になれば光も人も消えてしまう。
きらきらしたものはあっという間になくなっていく。夜が明けたら、しらじらしい明日が昨日の退屈だけを引き継いで、真新しいような顔をしてやってくるばっかりだ。「ずっと」も、「絶対」もないことなんて、とうにわかっていた。だから、インスタントに欲望が叶えられるこのまちの、うさんくささや、でたらめさもひっくるめてここにいたかった。できるだけ、できれば死ぬまで、ぎりぎりまでこのまちの、いつかなくなっちゃうはずの「きらきら」の中にいたかった。
ここに居さえすれば、ずっとずっと、絶対幸せだとばかみたいに思い込んでいた。
アンナ